今回は少し専門的なお話です。このブログで紹介していくツボは、自分でできるツボ圧しをご紹介していきたいので、腰痛や頭痛、スジの痛みをとるツボがほとんどですから、初学者の方はあまり気になさらずお読みください。
ツボの状態と診断法
鍼灸でも手技療法でも、ツボを治療に使うなら、ツボや経絡の状態を把握しなければなりません。
気の状態を診断するのですが、虚実を診るといいます。虚が不足で、実が気の過剰ですね。これが分からないと深い治療はできないのです。本治といい根本的な治療、症状を引き起こしている気の状態を回復させるために必要なのです。
からだのどこかが痛い、スジが痛いようなときは、診断しなくてもそのスジ上のツボ、阿是穴や正穴を施術すればスジの痛みや、スジのこわばり、コリがとれ痛みが取れます。即効的な効果もよくあります。
しかし、虚実を診断して治療すれば、もっと深い治療、気の状態や体質、未来に起こる可能性のある病気の芽まで治してしまうことができます。痛みのあるところのツボを取らなくても、全体的な本治を目指すことでスジの痛みがとれることもよくあります。
痛みを引き起こすスジの虚実には、阿是穴や正穴などのツボで回復させ、本治(根本的な治療)にはその状態(虚実)を見極め適切な治療が必要だということです。
そして専門的なことですが、鍼灸、漢方などでは脈診と言って手の付け根で、経絡の状態を診断、把握することが多いようです。指圧や手技などでは腹診といってお腹の経絡を切診(触診、お腹の経絡を圧して虚実を診ます)して診断していきます。また背中の経絡で診断したり(背候診)、上記を組み合わせたり、また直感的に診断していく方法もあります。
ツボの治療法・虚には補い、実には瀉する。
また少し専門的になってしまいますが、東洋医学では、脈診や腹診、背中、または直感的な診断で、気の状態を把握します。気の流れるスジ、経絡の虚実を診るのです。
虚が気の不足で、実が気の過剰ね。そしてこれは裏表です。不足があれば必ず過剰がある。へこんでいるところがあれば膨らんでいるところがある。
診断で、腎虚胃実といえば、腎経の気の不足+胃経の気の過剰状態という診断になります。めんどくさいけど虚実ね。覚えてね(笑)プラスとマイナス。
で、虚とは不足した状態ですから、気を補う治療法(補法といいます)をして、実は気の過剰ですから、気を抜く、取り去る瀉法をします。(瀉とは移すという意味です。)
補法で気を補い、瀉法で気をとりさる。虚には補法で、実には瀉法ね。
そして難しいのが補法です。実は力の過剰な状態なので、鍼や手技などでも強めの刺激でも大丈夫なのですが、虚という力のない状態、ここに間違って強めの刺激を与えてはイカンのです。
補とは足りないものを、包み込むように温め潤し滋する手法です。これが難しい…診断も難しいが治療も難しい…
虚とはまさに空虚な状態、虚空のような状態であり、気が満ちたりてくるのを待ち望んでいる状態なのです。真剣に女性と向き合うように接しなければならない(笑)
いや、生命は女性的ですよね、目まぐるしく変化していく性質を持っている、海のように。
反対に男性はモノ的です。こころもからだも固定的です、まるで実のようにこわばり固くなっている。
体質的に実証、虚証という見方、体質の分類の仕方もあります。
イメージ的には、筋肉モリモリで元気な男性が実証、反対に手足が細くカヨワイ女性が虚証。
虚証というのは、虚弱状態、元気のない体質、気の状態ということです。
同じ肩こりでも、実の状態の肩こりとは、元気なおじさんの肩こり、虚の状態の肩こりとは、カヨワイ女性の肩こりという見方もできますね。
虚証と補法
そして今流行りなのが、虚証です(笑)トレンドです(笑)
女性も男性も虚証が多くみられます。
東日本大震災以後、人々の気の状態がさらに内向していったような感じがありますが、時代は陰と陽の時代を繰り返しているようです。男性的で能動的な陽の時代、産業革命、高度成長期のようなモノの時代。
そして現代、時代は陰の時代に突入したようですね。女性的で受動的な時代。これから芸術やこころの領域で大発展があるかもしれない、ルネサンスのように。いやもっと大きく枢軸時代、軸の時代の偉人たち、老子、ブッダやキリストが実在していたような時代、様々な偉大な哲学者、宗教家、芸術家の時代になっていくかもしれません。
これは個人的によく感じますね。東日本大震災以後、人が変わったような人々が私の周りにもたくさんいます。食べ物とか生活とかナチュラリストみたいになってった友達もいますし、政治的にも左に傾いていった知人も多いです。アナーキーな人が増えていった感があります。
震災で、今までの個人主義から私たちは運命共同体だという大事なことに気付いたのかもしれないしですね。悲劇的なことでしたが強烈なカンフルになったのかもしれない。いまいち政治家のいうことが信用できなくなってきたのだと思います。そして何かを求めている時代、まさしく虚の時代ですよね。
あぁ、話が大きくなってしまいました(笑)収拾がつかないな(笑)
でもツボに自然の名前が付けられているように、世界=自分です。時代の流れ、状態は、自分のこころやからだの状態ですしね。影響を受けないわけにはいかない。
で、補法と瀉法ね。
実証に対する瀉法は簡単なのですが、補法は難しいというお話でしたね。
虚実という体質状態がありますから、治療法にも補法、瀉法という治療法があります。
鍼は瀉法に向いていて、補法の鍼はとても難しいと知り合いの鍼灸師は言っていました。だから鍼と補法であるお灸を併用するのが望ましいようです。
私が学び実践している手技では、瀉法は比較的強い刺激、ツボ圧しです。補法は虚という経絡、それに属するツボを手当のように温め、虚のコリを溶かしていく。
漢方なら、食当たりみたいな症状には、下剤の作用のような処方で悪いものを出し(瀉法)、強い刺激で弱ってしまったからだには滋養のある成分で潤す(補法)。
でもこれは手法の問題でもないんですよね。形の問題ではないかもしれません。
鍼などでも治療家のイメージが治療の効果、深さに作用するといいますし、手技においては特に治療家の気の状態、イメージが大事なのです。
簡単に言えば、慈愛の心で治療するということですが、よく考えたらそうですよね。いくら知識や技術にたけている人でも、補法の技術を持っている人でも、治療や患者さんをお金儲けの道具にしている人に、補法はできないと思います。
東洋医学の治療とは、相手の気の反応を引き出すということですからね。
いや治療に限らず、日常でも人を利用しようとしている人とは仲良くなれませんもんね。分かり合えない。そんな人の側にいるだけでからだが嫌がるもんね。気に敏感な人は気持ち悪くなってしまうかもしれない。
人はいい気も発しますが、邪気も発するのね。気を付けないとね、お互い。
というわけで、気の治療にはこころが大事だということでした。
ツボ基礎知識: