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ど~も、恵比寿整体院の内山です。
前回、気持ちよさについて考える・身体編を書いたので、今回は気持ちよさについて考える・心編です。
でもまぁ、心は千差万別、私にとって気持ちいいことが誰にでも気持ちいいわけではないし、何によって心の気持ちよさを感じるかは個人的なものです。
でも気持ちよさを感じるとき、気は最も豊かに働くし、気持ちよさを感じるコトは健康にだってよろしい。
カタルシス
カタルシスとはギリシア語で「浄化」の意。「排泄」の意味もあります。
文学的、もしくは精神医療的なカタルシスの意味もありますが、私は単純に精神的な満足感ととらえています。
カタルシスという言葉は、「心の中に溜まっていた澱(おり)のような感情が解放され、気持ちが浄化されること」を意味します。もともとは、アリストテレスが『詩学』に書き残した悲劇論から、「悲劇が観客の心に怖れと憐れみを呼び起こし感情を浄化する効果」をさす演劇学用語です。転じて、精神医療においては「抑圧されていた心理を意識化させ、鬱積(うっせき)した感情を除去することで症状を改善しようとする精神療法」をさします。さらに、一般化して、「心の中にあるわだかまりが何かのきっかけで一気に解消すること」をいいます。
まぁ、東洋医学的に言えば、邪気が抜ける、気の滞りが取れるということです。
美しい景色、美しい物語、もしくは悲しい物語、出来事によって心が衝撃的に動かされること、ですね。
心が衝撃的に動かされる、悲劇的なことでも起こりえますが、美しい景色に出会ったり、神秘的な出来事を体験したり、人の優しさに触れたり、人生の意味が少し理解できた時に感じる心の気持ちよさです。
歓喜
歓喜(かんぎ)とは仏教用語です。仏典などにはそれこそ歓喜、歓び、喜びなどの言葉が山のように出てきます。
基本、宗教は心の気持ちよさを目指していますが、仏教では特にその傾向が強い。
仏様の光を歓喜光(かんぎこう)ともいいます。
でもこの喜びは精神的な意味合いが強いですね、あまり肉体的な気持ちよさの感じではない。
ヒンヴゥー教、ヨガでも目指すところはスカ(快楽)ですがこちらは肉体的な気持ちよさの意味合いも少し含まれているようです。
元々、仏教では涅槃、ニルバーナを最終的な境地としていたのですが、涅槃・ニルバーナとは蠟燭の火が消えた、何もないといった意味合いのようです。
だから小乗仏教から大乗仏教になり、涅槃より歓喜という言葉が好んで使われるようになったようなんですね。
私の感ずる心の気持ちよさ
カタルシス、歓喜、歓び、歓び、精神的高揚感、精神的満足、言葉は何とでもいいんですけど、私が感じる心の気持ちよさって何かな?
ん~、やはり私、成長願望がエゲツナイほどあるので、知らなかったことが分かること、できなかったことができるようになること、経験や成長にそこのない気持ちよさを感じてしまいますね。
AB型の性か、あまり人に認めてもらいたいとか思わないんですね。一人好きなことに夢中になってしまう。
あとはやはり自然の神秘、何気ない朝焼けや夕焼けにも神々しさを感じてしまいます。年のせいかな…
後は水のあるところね、海でも川でも湖でも雨でもいい。
水があると落ち着くんですね、私。
あとは朝焼けや夕焼けのようなダイナミックな瞬間。
何かが何かに変わっていくときにはぞぞっとします。
変化の瞬間、そしてそこにチャレンジするような心のとき。
自分の感じる気持ちよさを書くのは恥ずかしいコトでもあるのですが、自分で再確認ができますね、自分の人生の目的の。
心のありさまを言語化することってとても大事なんですね、何かと。
あなたも自分が何によって心の気持ちよさを感じるか、少し思ってみたら人生少し楽になるかもですよ。
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