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前回の投稿で、気の原理や鍛錬法をご紹介し終えましたので、これからは気の原理・こころ編といたしまして少しココロについて語ってみたいと思います。
気が最も強く働く原理や気の使い方、鍛え方をご紹介してきましたが、実は心にも気の原理はあるんです。
どのような心の状態のときに気が最も豊かに働くか、簡単にまとめておきます。
気の癒しシリーズ
その前に恵比寿整体院が送る気の癒しシリーズ。
気の癒し基礎編や気が最も強く効果的に働く原理5つとその鍛錬法をご紹介してきましたが、おさらいしてみると、
気の癒し基礎講座
気の癒し鍛錬編・気の原理と鍛え方
気が最も強く効果的に働く原理5つとその鍛錬法の解説。ツボや経絡への施術には欠かせない気の使い方、体の使い方を徹底解説。
結構なボリュームになってしまいましたね。
でもこの辺が基礎なので、基礎ができていれば実際の施術法も習得が楽です。
実際のセミナーでも基礎作りに時間をかけていますし、気の原理に即した体の使い方ができないとツボや経絡への施術はできないので必須なんですね。
気の原理・心編まとめ
で、気が最も強く効果的に働く気の原理と鍛錬法をご紹介しましたが、気の原理は心にもある。
これが分かればどのような心でいたらいいか、どのような心持ちでいたらいいか、心の落ち着け処が分かります。
わざわざ気の原理としなくてもいいんですけどね。
自分の心を内観してみれば、自分の心を覗いてみれば、どのようなときに自然でいられるか、どのようなときに幸せか、分かりますもんね。
でも、あえてまとめてみると、
あぁ、また結構なボリュームになってしまう…。
けど、ハズせない内容なのね。
記事にする前に少しづつ解説してみると、
気の原理・心編1、エゴから離れる
エゴ、自意識、我、これは生きる上で欠かせない心の一面ですが、これが自分のすべてではありません。
自意識を超えたものってあるんですね。
そもそも、何でツボや経絡への施術において自意識を入れないように私が解説しているかというと、ツボや経絡って相手の無意識に属するものであり、急所や弱点でもあります。
これを自意識で圧してもツボの底、経絡の底に届かないんですね。
施し手がエゴ丸出しだと必ず受け手の無意識の抵抗を受けます。
だから、自意識を挟まないで体を動かすことを指導しているんですね。
気の原理や気の鍛錬法を解説しているのもそう、自意識を入れないで動く、自意識を入れないで力を入れる、こういうことが自然にできるようにするために鍛錬するのです。
そして自意識を入れない動きって、一番力が発揮できるんですね、だからこれも気の原理です。
あぁ動こう、こう動こうではなく、考える前に体が動いている、気に導かれて(イメージに導かれて)体が動いている、部分だけではなく全体で動いている、こういうときって動きもスムーズで見た目も美しい。
自意識って部分的な動きしかできないんですね、全体的な動きってもうちょっと脳みその深いところを使っているらしいのです。
スポーツや運動、武道やダンスなどやりこんだことのある方は分かるかと思います。
イメージ通りに体が動いているとき、気持ちよさを感じているとき、自意識から離れているんですね、だから癖になる。
分かりにくいかな、これ。
自意識を入れない、自意識から離れるって話は。
ん~、見方を変えましょうか。
自意識、エゴ、我の行動の原動力って恐怖なんですね。
恐怖ゆえに自分を保とうと、自分が傷つかないように行動します。
あまり生産的ではないんですね、これ。
そう思いません?行動の原動力が恐れだなんて。
でも、今はこれが普通なんですね、世の中。
自分というアイデンティー、自己同一性を保つためにエゴは行動します。
時には自分にも嘘をついてまで、自己という幻想を守ろうとする。
ツボや経絡への施術でも、意識が自分に向いているうちはツボや経絡の底には届きません。
だからね、自意識から離れるっていう瞬間を味わってほしいんですね。どうにかして。
仏教では三昧(さんまい)という境地ですね、何かにハマっている状態、自意識を忘れている状態です。
好きなことにハマっている時ってそうではありませんか?
自分を守ろうという心も無い、自分がどこまでも拡大していく感じ、愛する人と一緒にいるときもそうですよね、自分と相手の境界すら曖昧になる、一体感ってヤツ。
自意識・エゴ・我の恐怖の原動力の反対の状態では、喜びが原動力なんですね。
尽きない喜び、いや歓び。
こういうものを原動力にして行動できたら素晴らしいと思いませんか?
気の原理・心編2、笑顔
「気の原理、自意識から離れる」ですべて解説してしまったような気もしますね。
笑顔もそう、笑っているときって自意識から離れているんですね。
そりゃ怖がっているような、ビビっているような顔より笑顔の方が、力が出そうでしょ?
気の原理・心編3、感謝
これもそうね、自意識から離れるっていう意味では同じです。
感謝ができる、ってもうそれだけで救われているんですね。
何に感謝する、感謝できる、かはその人の成長の度合いですが、お蔭様という言葉があるように、自分を支えていてくれている見えない部分にもね、感謝の気持ちを持ちたいですよね。
言葉で色々と説明していますが、これ実際に体の力の入り方が違うんですね。
セミナーでも実践していますが、ポジティブな気持ちの時とネガティブな気持ちの時では身体の反応も違うんです。まぁ、当たり前なんですけどね。
気の原理・心編4、深まる気と心
心、気持ちって深さがあるんです。そしてその深さは無限なんですね。
これをこの辺でいいや、とかこの位の思いでいいだろう、とエゴは思うんですね。
そうしたとたん、気は落ちる…。
気持ちが深まり続けている時こそ、気って強く豊かに働くんですね。
本気で好きな人ができたら、この辺まででいいとか、ないですもんね。
私がここまで愛しているんだから、これだけの事をしてよ、とか。
あなたのことはここまで好きよ、とか。
社会的な結婚は契約ですからね、真実の愛とは程遠い…。
気持ちが相手に向かい続けて自分に返ってこない状態。人を愛するってこういうコトですよね。
気の原理・心編5、無限向上
これは先ほどの「深まる気と心」と同じですけど、宇宙の本質なんですね。
ついつい、私たちは同じところを回っているように感じてしまいますけど、時間というものがある以上、やはり物事、いや世界はスパイラルに進んでいる。
以前よりより強く、より豊かに無限に向上していくんですね。
気の原理・心編6、頂いたものと与えるもの
人生って貰ったものを分け与えるドラマです。
昔話のように、鬼と戦ってお宝をゲットしたら村に帰って皆に分け与えて、「めでたしめでたし」なんですね。
これ私も最近感じるんですね。若い時は成長しよう、なんでも経験しよう、と血眼でしたが、人生の艱難辛苦を味わい自分なりの答えを見つけたら、やはり村に帰ってその答えを皆と分かち合うもんなんですね。
気の原理・心編7、神仏観
これは神様がどうのこうのとか、ではなく自分が世界をどう見ているか、ですね。
神仏観はその表れです。
エゴは世界を恐怖の目で見ています。こういう見方だと嘘をついてでもいかに自分が傷つかないですむか、いかに自分が得をすることができるか、さもしい人生になってしまいます。
世界を自分が何かを得る場所と思うのか、世界を自分が与える場所とみるのか。
この2つの世界観では、白黒と4Kくらいの情報量の差がありますね。
エゴの行動の選択肢って少ないんですね。いかに自分を守るか、いかに自分が得をするか。
でも歓びというものが原動力だと、与える方法がいくらでも考え付きます。人生の選択肢が素晴らしく増えるんですね。
ん、また分かりにくいかな?
え~と、自意識って物事を分ける働きなんですね。
私はあの人と違う、私=世界ではない。
自分と他人、世界を分けてしまうのが自意識です。
これが全体的に考えられない、共感的に考えられない、一体感を感じられないのが悲しい自意識の性なんです。
世界に自分が含まれると感じられると、では世界のために自分ができることは何でしょう?という問いになる。
世界に自分を含めるか、傍観者なのかで行動も違いますよね。
次回から心の気の原理、一テーマずつ記事を書いていきますので、お楽しみに。
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