見えないものへの認識

気の癒し・心編

【気の原理・心編】見えない物への認識

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気の原理・心編、エゴから離れる笑顔の実験に続き、今回のお題は「見えないものへの認識」です。

見えないものといっても別に怪しげなものではありません。陰陽でいえば見える部分が陽であり見えない部分が陰、原因と結果と捉えてもいいですね。

そしてこれは施術においても大事なことです。私たちはついつい見える部分だけ意識してしまいます。施術においてもツボを圧すということならついついツボを圧すところだけに集中してしまいます。

ツボを圧す部分を寫点(しゃてん)というのですが作用点ですね。でも作用点が定まるには力点や支点が定まっていなければならない。

寫点に対して支える部分を補点(ほてん)といいます。ツボを圧すということに関しても、補点がしっかり支えてくれるから寫点の方向性が定まり効果的に圧せるのですね。

補がなく寫だけではツボを圧す方向性が定まらないので、いくら力を入れてもツボの底に届かないんですね。

この補寫(ほしゃ)というのはとても大事で、補寫一体圧ということで指導している指圧の流派もあります。


補寫

寫を作用点、補を支点と考えれば分かりやすいですね。

ツボを圧すときの補寫については、施術の解説で詳しく説明しますが、右手でツボを圧すなら左手が補になり受け手を支えたり、親指で圧すなら人差し指で支えたり、膝で支えたり、自分という存在を支えるために丹田や腎経に力を入れてこれを補としたりもします。

補の手の中にも補寫があり、寫の手の中にも補寫があります。これは補の中にも寫があり、その寫の中にも補がありと延々に続くんですけど、これは陰陽の概念と同じです。

陰の中にも陽があり、その陽の中にも陰がある…。


見えない部分

見えない部分、認識しにくい部分のほうが実は見える部分を支えているんですね。

木だってそう、ふと木を見ると幹があって葉が生い茂っているけど、地中には根が張り巡らされている、その根の全体は見えないからその全体像は把握しにくい。

でも木が巨大なほど、根という支えも大きくなければならないし、根が腐れば見える部分も存在すらできない。

人間の行動もそう、見えない部分、原因があるから行動があり結果がある。

これも虚実(きょじつ)ということです。満たされない虚があるから実という行動がある。

お腹が減るから食べるんですね。愛されたいから行動があるんですね。

行動の原因が虚という満たされない思いっていうのは悲しいことでもあるんです。

病気治しも同じです。症状のある部分だけどうにかして矯正してもその原因が改善しなければ再発は防げませんし、根本的な解決にならないコトも多い。

だから東洋医学は慢性的な症状の根本的な原因を、気の虚実に求め虚を満たすような手法をとるんですね。
(緊急医療やケガや事故などの応急処置は別です)

だから気の癒しを学ぶには、この見えない部分、陰の部分、虚の部分への認識を深めなければならない。

いや、気の癒しに関わらず、人間の行動の奥には満たされない思いがあると思えば、自然と他者への慈しみが沸き起こってくる。

そもそもが自分という心の中、存在というのも見えない部分に支えられているんですね。

これを潜在意識といってもいいし、自然や宇宙、神や仏といってもいいし、慈悲といってもいい、言い方は人それぞれで構わないんですね。ただそういう部分に支えられているという認識や実感こそが気の癒しを施す上で欠かせないということです。

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