恵比寿整体院が送る気の癒しシリーズ、今回は気の原理・心編 頂いたものと与えるもの。
心のコトなんてこっぱずかいいコトを解説しているのですが、心、願い、思い、イメージとは気の力そのものです。
気が最も豊かに強く働く原理を解説しているのですが、そりゃ、与えるという気持ちの時のほうが頂くときよりポジティブでしょう。
年を取って気づくこと
私も年を取りました。年を取ると若いときには見えなかったものが見えてくる。
若い時なんていただきっぱなし、take&take。
少し大人になってくると、give&take。
年取ってくると、give&give。
これ、人生の方程式でしょうね。
だから若い人を見て、慈悲のない人を見ても上には立てない…、自分もそうだったから。
言い方を変えれば、若いときは人の上に立とうと努力する。
年を取ると、人を支えようと努力する。
この支えるというのは、ツボや経絡の施術においても重要なこと。
相手を支える、自分を支える、ということができるから正確にツボや経絡の施術ができるんですね。
相手にもたれかかるような身体や心の使い方では、ツボや経絡の底にまで届かない。
このブログでも丹田や体軸の鍛え方や心身の気の原理を解説しているのは、この支えるということができるためでもあります。
与えるということ
与えるということ、仏教では利他とも言います。
利他行、菩薩行という言葉もありますし、菩薩とは元々は利他行をする修行僧のことです。
ここでいう与えるとは、損得なしのコトね。
エゴや我は自分が得をしようとして、他者をコントロールしたくて、自分が上に立ちたくて与えるということもあります。
これもまた仏教では「修羅の善」という言葉で表しています。よくありますよね、私たちにも。
でも今回の与えるということは、自分の損得抜きにしてのことです。
自分の損得を考えて与えてるって、気もしぼんでしまうようですもんね。
で、何を与えるか、自分が世界に対して何ができるか?
そんなことは自分で見つけてほしいのですけど、私なんかは月並みですけど、他者には幸せ、歓び、笑い、安らぎ、豊かさを与えたい。
与えるためには、相手の満ち足りていない部分(これを東洋医学では虚といいます)も把握しなければならないし、何をどう、どのタイミングで、上に立たず与えるか、できるには相当の智慧が必要です。
そのために人生で様々な経験をしているようなものですね、私達。
自分の子供に与えられるように様々な経験をしているようなものです。
(自分の子供でもなくてもいいんですけど)
与えた時の気づくこと
お子さんがいる方はわかりやすいかと思いますが(愛する犬猫でもいいんですけど)、自分が子供を持って様々なもの、愛や願いなどをもって与えているとき、自分もまた同じように愛され与えられてきたのだと気づくハズ。
人生って不思議ですね、自分がその立場にならなければ自分が与えられてきたことに気づかないなんて。
これはあらゆる物事にも通じるのですけど、人を愛したときに自分もまた愛されてきた(愛されている)のだと気づく、自分が与えるときに与えられてきたのだと気づく。
自分が願ったときに、また自分も願われてきた、願われているのだと気づくものです。
両親でも血縁関係のない人でも、神様でも仏様でもいいんですね、そう感ずる瞬間が人生にはある。私もまた愛され与えられているのだと。
そういう瞬間が持てないようだったら、あまり感じられないようだったら、積極的に人に与えるということをすればいいんですね。
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