ど~も恵比寿整体院のゴローです。一日一記事ペースでブログを書いているのですが、症状やストレッチ、ツボの説明ばかりでね、画像も自分で撮っているので、最近は骨ばっかりです。
で、骨格標本をまじまじと見ていたら、不思議なんですね。右と左がある…。当たり前なんですけど、左右対称に骨がある。で体の中心の骨は一つ、背骨や仙骨、胸骨、頭蓋骨は一つなんですね。
よくよく骨だけではなく体のコトを考えてみたら、脳は一つですけど、右脳と左脳に分かれている、肺も腎臓も、睾丸も卵巣も左右にあります。でも消化管の胃~小腸、大腸までは一つの管です。消化管に付随する肝臓や脾臓も一つです。
肝臓なんて大事だから、2つあればいいのになぁ、と思いますがね、肝臓が2つあったらお酒もいっぱい飲めそうですしね。
2つある腎臓、睾丸、卵巣は遺伝的要因や、摘出して一つでも、そんなには影響がないんですよね。
そして面白いのは、体に3つという構造はないんですね。確かにモノ的、生物的には3つ同じものがあるって不自然です。
でも、これが形而上的には「あり」なんですよね。
形而上:
存在論、存在の原理の哲学
キリスト教も父と子と聖霊のまとまり、三位一体とか、東洋医学の気・血・津とか、アーユルベーダのトリドーシャも火・水・風の3要素に分けます。
あと、3つの要素ってなんかありましたっけ?
えっと、燃焼の3要素ね、可燃物(可燃性物質)、酸素供給源(支燃物)、点火源で、これを、「燃焼の3要素」といいます。
あと肥料の3要素、窒素(N)、リン酸(P)、カリ(K)ね。
何かと3で落ち着く存在論もあるんですね。日本人は奇数を好むとも言いますしね。三種の神器もそうですしね。居酒屋でメニューに「四種の珍味」より「三種の珍味」のほうが売れそうな気もするしね。
まぁ、そういう私も3が好きなんで、4段階よりは3段階で物事を考えたくなります。
物事の分け方
存在って不思議なんですね、もともとは一つのはずなんですけどね、見方によっていくつかに分けられます。せっかくなので東洋医学のことも交えて、いち~、に~、さん~…と森羅万象の分け方を書いてみたいと思います。
一つ
物事は分けられない、全部が一つだっ。って言われたらそれまでなんですけど、一元論ですね。
道教・タオイズムもすべては道・タオという一つの原理に過ぎないと言っています。道という原理に従い、気が働くんですね。道=気ではないのが面白いですね。タオという原理があり、それに沿って働く気がある。
タオ・道っていい言葉ですよね、日本の芸能にも多くみられますよね、武道や茶道や、合気道、あと極道(笑)。極道っていい言葉なんですけどね、道を極めるって。
で、全てはタオという現われに過ぎないって言っている道教ですけど、これがまた寛容なんですね。道教には様々な宗派があり、言ってることもやってることも様々で、道教という枠組みの中で、正反対の考えさえあります。
そして一元論であるはずの道教は、これらの多様性を容認するんですね。「タオの多様性」を表しているってことで。一元論だけど、その振る舞いには無限の多様性があるって。
この辺は欧米人には理解できないかもしれませんね。「神は一人」という唯一神の信仰があるとこれは理解できません。東洋人はこの辺は体得しているんですね。すべては一つの何かの、千差万別の表れだって。
あれ?わかりにくいですかね?本当は、こういうことは説明できないんです。詩的な表現に任せるしかないんですけどね。
華厳経では「一つの雨滴にも全世界が映っている」と書いてありますし、仏教でいう悟りの知恵の一つ、大鏡智とは、これも説明しずらいですが、鏡張りの丸い球の中みたいな意味ですね。
丸い球の中、全てが鏡張り…、全てが全てを映し出しているという知恵ですね。私のような凡人には理解できませんが、なんとなく、ふんわりとはね。
で、最新の科学では「超ひも理論」という、全ては弦のような物の振動の違いに過ぎないって言っていますね、振動・波動の違い…、朦朧としてきますよね。スピリチュアルな人たちもこぞって、波動がどうのこうのとかね、言いますけどね。
じゃぁ、その弦は何なんだっていってもね、分からんのです。存在の振る舞いは説明できるかもしれないけど、存在そのものは説明できないんですね。
原子の周りを飛び回る電子だってね、光のような、粒子のような、それでいて波のような振る舞いをする。
どーも世界は内側からは、観察できないかもしれないんですね。だって観察する自分自身が世界の一部なんですからね。
この辺が科学のジレンマなんでしょうね。観察するという行為自体が、何かしらの影響を与えている場合がある…、私たちは見たいように世界を見ているだけではないのかい、とね。
話が大きくなってしまいましたが、一元論ってそうなんですよね、自分も全体の中に含まれてきますからね。
形而上の話だけではありません。心だって、点である我に捕らわれて、自分のことしか考えてなければ「どうしたら自分が傷つかないようにできるか」「どうしたら自分が得をすることができるるか」くらいの選択肢しかありませんが、全体を考えたら「私は世界のために、人のために何ができるのだろうか?」って無限の選択肢が選べますよね。
ん、またわかりにくいですね。世界(他人)と自分を分けたら、対立しかない。一元論のように世界に自分を含めたら、自分の行動が世界を変えますよね。世界や世間に文句ばっか言っていないで「私はどうすれば世界を変えられるのだろうか?」っていう問いになりますよね。
まぁいいや(笑)。正解はないんですけどね。今回は物事の分け方だし、でも意外と大事かもしれないですよね、一元論、自分と世界。自分抜きの世界なのか、世界の中に自分があるのか、自分の中に世界があるのか?
主観なのか、客観なのか、俯瞰(ふかん)なのか、すべてなのか?問いは尽きないんですよね。
二つ
はい、強引に「ふぁた~つ」に行きます。2個ね。二個一っていう言葉もありますね、二つで一つ。
これ単純でいいですよね、二元論。
全ては正反対のモノのバランスで成り立っている。
男と女、陰と陽、聖と悪、海と山、猫と犬(笑)、喜びと悲しみ、下降と上昇、破壊と生産、革命と保守、自然と人工、自然と科学、俺とお前(笑)。
梵と我、地獄と天国、熱いと寒い、痛いと気持ちいい(笑)、涙と笑い、お金持ちと貧乏、晴れと雨、冬と夏、リストは続く…。
これは人間界のことなんですね。相対の世界。私たちは相対の世界で生きています。お腹が減ったから、ご飯を食べて満腹になるんですね。寂しいから誰かと居たいんですね。愛がないから愛を欲するのですね。
足りないから欲するのです。ちょっとこれも悲しいのですけどね、人間の行動の根拠には欠乏があるって…。
でも、これは我についてで、ご紹介したように、我の行動についてのことです。喜びをその行動の根拠にすることもできるんですね。それは利他ってことですけど。
あぁ、また話がでかくなってしまう(笑)、手に負えなくなりそうだ。
で、二元論。これは東洋医学がうまく説明していますね。陰陽二元論、でもこれは陰と陽が二個一で、実は一元論という見方もあるんですね。二つの反対の性質のもので世界は、存在はなりたっているって。
物事を陰陽に分けます、そして陰だけを見る。そうすると今度は陰の中にも陰陽がある。そしてその中の陰にも陰陽がある…。キンタロー飴ですね。同心円。どこまで細かく分析しても、大きなものも小さなものも同じ構造をしている、陰と陽に半分半分。
確かに、男の中にも女の部分がある。猫っぽい犬もいる、犬っぽい猫もいる(笑)。
あんなに幸せそうな人にも影がある…、普段は清純なのに、あの時はものすごい(笑)。
私が惹かれるのもそこなんですけどね、正反対のものを持っている人やモノに興奮する(笑)。いや、惹かれる。
どんな悪人にも、仏様のような心がある。どんなに最低でも最高の部分がある、泥に咲く花のように。
こういうのを人やモノに感じませんかね?魅力ってこういうものじゃないんですかね?
二つのバランス
よくバランスが大事って言いますよね。体のバランス、心のバランス、収支のバランス…。このバランスって半分半分、ハーフアンドハーフを考えてしまいがちなんですけど。世の中って違うんですよね。
陰陽では、陰が陽を育むといいます。見えない陰が90%、見えてる陽が10%くらいの感じですかね。見えている存在の裏方には、見えてていない部分が10倍くらいある。氷山のように、見えているのは水に浮いた表面だけ、その下には何倍もの見えていない部分がある。
自律神経のバランスもそうですね、生命は副交感神経のリラックス状態を基本として、交感神経優位の興奮状態はアクセント程度が好ましい、猫のようにね。でも現代の社会って、この反対なんですよね。興奮7割、リラックス3割程度。これでは体も心も壊しますよね。
自分の体も、何倍もの食物、一つの命さえ何倍もの命の上に成り立っています。だから「お蔭さま」っていうんですね。
私はお蔭さまって言葉が好きなんです。陰が陽を育むというのも表しているし、感謝の気持ちですね。見えない物への感謝の気持ち。よく「私は見えるものしか信じないよ」という人がいますが、大事なものほど見えないしね。
で、バランスのお話ね。経済にもパレートの法則がありますね。
パレートの法則
パレートの法則:
経済において、全体の数値の大部分は、全体を構成するうちの一部の要素が生み出しているという理論。80:20の法則、ばらつきの法則とも呼ばれる。
- ビジネスにおいて、売上の8割は全顧客の2割が生み出している。よって売上を伸ばすには顧客全員を対象としたサービスを行うよりも、2割の顧客に的を絞ったサービスを行う方が効率的である。
- 商品の売上の8割は、全商品銘柄のうちの2割で生み出している。→ロングテール
- 売上の8割は、全従業員のうちの2割で生み出している。
- 仕事の成果の8割は、費やした時間全体のうちの2割の時間で生み出している。
私もこのブログのスタイルにするにあたり、SEO(検索エンジン最適化、対策)しているのですが、ロングテールという複合ワードで記事を書いています。メインのキーワード、例えば「ダイエット」+「簡単」とかね。アクセスの8割はロングテールからの流入とか、全体の2割がほとんどのアクセスを稼ぐとかSEO業界では言われています。80:20の法則、これもバランスですよね。
カバラの78対22の法則
ユダヤの法則の中に『78対22の法則』があります。世の中は、すべて78対22で成り立っていると言う法則です。
カバラとは、ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想。 独特の宇宙観を持っていることから、しばしば仏教における密教との類似性を指摘されることがある。
単に思想的なものではなく、数秘術として数を使い、運命論、存在論、経済論まで説明しているのが面白いですね。
- 人間の体は、水分78%、その他22%
- 空気中の成分は、窒素約78%、酸素・二酸化炭素等その他の気体が22%
- コカコーラのビンは、縦と横の比率が78対22
- 肺呼吸と皮膚呼吸の割合は78対22
- 腸内の善玉菌が78%に対して、悪玉菌が22%が理想的
- 地球の海の割合は78%に対して陸地が22%
- 一般人とお金持ちとの比率=78:22
こういうバランスは別に不思議ではないんですね。存在はどこかでバランスを保とうとするものです。だから数と喧嘩するのではなく、数を味方につけないとね。
あぁ話が大きくなってしまいましたね、ただバランスとは半分半分ではないと言いたかっただけです。男も女もその本質は、半分半分ではなく、女性のモノを育むという陰の性質が8割程度、男の陽の性質はアクセント程度の2割くらいでいいんですね。
あと2つの分類で、私のライフワークである東洋医学ですと、気の虚実がありますね。虚が不足で実が過剰です。東洋医学は気の虚実を診断して、虚には補法(気を補う手法)、実には瀉法(過剰な気を抜き取る、移す手法)をとります。
三つ
はい、私も大好きな3です。初めに書いたように、3って思想的な意味合いが強く思えます、決してモノ的な分け方ではない気がしますね。東洋医学やインドの医学、アーユルヴェーダなど代表的な三要素をあげときます。
気・血・津液(き・けつ・しんえき)
東洋医学では、人の体は「気(き)」「血(けつ)」「津液(しんえき)」の3つの成分から成っているとします。この3つのバランスがとれている状態を健康といいます。
- 気は目には見えませんが、体や内臓や精神を働かせる、人が生きるために必要な活動や運動を支えるエネルギー
- 血は、血液のことをいいますが、広い意味では、からだに栄養を与える物質のことをさします。気・血の調和により健康が保たれて、両者は表裏一体となって体の中をめぐっているのだと考えます。
- 津液は体内の水分のことです。細胞や血液中の水分、胃液、涙、唾液、リンパ液などの体液も含みます。大人の体には60%もの水分が含まれていて(赤ちゃんは90%)、健康を大きく左右しています。この水分によって人の体は保たれています。
アーユルヴェーダは、「生命の科学」ともいわれる、インド・スリランカにおける伝統医学です。東洋医学のように「医食同源」「予防医学」の側面を大切にしています。日常生活の食事、医学知識や医療技術のみならず、生活の知恵や哲学、ヨガや瞑想なども含まれます。そのアーユルヴェーダにも3つの分類法があります。トリドーシャといい体質の把握、体質改善の指標になります。
トリは多分、トリニティの3という意味で、ドーシャは3つの性質、風・火・水を持つエネルギーです。気・血・津液に似ていますね。
- 風のエネルギー「ヴァータ」、軽・冷・乾・粗・動の性質。
- 火のエネルギー「ピッタ」、熱・鋭・流・変・液の性質。
- 水のエネルギー「カファ」、重・冷・遅・油・緩の性質。
アーユルヴェーダでも、3つの性質(ドーシャ)が身体においてバランスがとれている状態を健康とします。しかし個人個人、ドーシャのバランスは生まれもったものであり、バランスの配分も違います。
たとえばヨガや食養でも、火の性質が強い人には、火の性質の食べ物やヨガの行法はNGです。火の性質を強めて燃え尽きてしまうんですね。
水の性質のある人に、水の性質の食べ物や健康法は、冷やしすぎてしまいます。など体質によって改善法が異なるのですね。
今回は森羅万象の分け方がテーマなので、簡単に、気・血・津液と風・火・水のトリドーシャについて触れました。
存在は、3つの性質で働いているといってもいいですね。
車も、ガソリンという燃えるものがあって、エンジンという動力を作るところがなければなりません。でもそれだけだと焼き切れてしまいますよね。でもって、水や風で冷やす機関が必要なのです。どれかが強すぎても弱すぎても正確には働いてくれないんですね。
体も同じです、燃やすという性質と、冷やす性質がなければ焼き切れてたり、冷えすぎたりしてしまいますもんね。
やはり3ついう分類は機能論なんですかね?物質的な分け方じゃないですよね、これって。
まぁいいや。ヒンドゥー教もシバァ、ヴィシュヌ、ブラフマーの3つを至高神としていますしね。破壊と創造と安定、これは物事の真理ですもんね。
三要素は初めのほうに書いたからこれくらいにしますね。
四つ
よんか…、あまり好きではないんですね、四って。
四つの分類は何かありましたっけ?血液型と性格なども4つの分類が多いですね。
心理学でも思考・感情・感覚・直観に人間の心理を分けたりもしますね。
四つで安定するモノね…、いかんね、動物の手足くらいしか思い浮かばない(笑)。机の脚とか(笑)
五つ
ちなみに私はゴローです。名前に五をいただいていますけど、吾朗ね。たまには56とか書いたりします、好きなんですね、この名前。
中国人、日本人は好きかもしれないですね、五つって。
五臓六腑、五芒星、五味…、いかん、出てこない。
で、この五の分類って、東洋思想・東洋医学の陰陽五行論が有名です。
陰陽五行論:
物事は5つの性質に分けられ、それぞれの性質が助け合ったり、反発したりしてバランスを保っているという考えです。その5つとは、
木・火・土・金・水
(もっかどごんすい)です。気の流れ、経絡も五行に分類されます。また何かと中国思想は5つに分類するんですね。自然も人間も政治も社会も。占いなども五行がなければ始まりませんしね。
二つだったら、お互いの関係で済みますよね。三つだったら三角関係ですけど、まぁ何とかなる。でも五つ、五角関係の人間関係、男女関係ってどうなのよ(笑)。
五行では、お互いが助け合う関係を相性(そうせい)の関係といいます。反対に相克(そうこく)関係とは、対立するものが互いに相手に勝とうと争うことです。五行では、木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木に勝つこと。
あっちとあっちは仲がいいのに、あっちとこっちは仲が悪い関係ですね。とてもややこしいのですけど、中国人はこれを見事に、医療や政治、食事にまで取り入れてきましたし、実際この分類法でうまくいっているんですね。
私の知る限り、五行論は特別かな、ほかの文化にはここまでの分類、そして関係性を突き詰めたものはないです。もちろんユダヤのカバラなどは、数の宗教ですから、もっと細かい数の方程式がありそうですけどね。生活レベルにまで五行が浸透している中華思想とは違い、カバラは奥儀、神秘主義なんですね。ちょっと裏側の数秘術みたいな感じがします。
東洋医学を志すモノには、避けて通れない五行論なんですけどね。
とんで十
7の分類も考えたんですけどね、チャクラとか。でもチャクラはもっとあるっていう人もいるし、チベットの密教のように、下のチャクラはまとめて、メインは5つって考えてもいいですからね。ラッキーセブンのような意味合いが強いかな、七つは。不吉な数字ととらえる考えもありますしね、で割愛。
ほんでもって十ですけど。今の世の中、メインは十進法ですからね、区切りはいい。
でも、あまり面白い十の分類はないので、仏教における一心十界でしめたいと思います。自分の心に照らし合わせて読んでください。
一心十界(いっしんじゅっかい):
十界とは、人間の心の全ての境地を十種に分類したもので、迷いの世界の六道に、悟りの世界の声聞・縁覚・菩薩・仏を付加したものです。
地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界に分類され、これらの総称が十界である。
まずは迷いの世界の六道ですが、六道輪廻(ろくどうりんね)ともいいますね。別に死んで、別の道に生まれ変わってということではないですよ。心は六道をさまよっているとも言えます。
- 地獄界とは人の恨む心の状態です、嫉妬、妬み、裏切り、地獄のような心。何も地獄は死んだら行くところではないんですね。自分の心の中に地獄がある。
- 餓鬼界とは足るを知らない心、胸が痛い…。誰でも持っていますよね、若い時なんて特にそうです。
- 畜生界は動物のことではありません、動物さんに失礼ですしね。これは恥を知らない心です。
- 修羅界は争う心。争わないと生きがいを感じない人っているんですね。意見をぶつけ合わないと生きている気がしない…。
- 人界は人間の世界ですが、相対の世界。二つの分類で書いたように、私たちは相対でしか物事を理解できないんですね。そして、生病老死の四苦八苦がある世界
- 天界は喜びの世界なんですが、仏教では、まだ迷いの世界なんですね。「天にも昇る気持ち」とかいいますが、喜びがあるほど、失う恐怖も付きまといます。喜びも永遠ではない…。神様の世界ですが、天界の神様にも寿命があるとされています。
- 声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界は悟りの世界ですが、声聞(しょうもん)はお勉強して、縁覚(えんかく)は修行の末、少し悟りを開いた心ですかね。菩薩(ぼさつ)というのは利他行(人の役に立つこと)、衆生を救済することを実践している人を言います。悟りを実践する世界ですね。仏界は迷いが完全になくなり、智慧と慈悲だけの心といったところでしょうか。
別に難しく考えなくていいんですね。自分の心を見つめてみたら全部ある。人に嫉妬する心も、足るを知らない心も、恥を知らない心も、争う心も、四苦八苦する心も、喜びもあるし、物事を勉強したり、経験から悟りのような閃きを得ることもあるし、人のために行動することも少なからずある。仏様のような慈悲と智慧に溢れた心もね。
ただ私達は、それぞれカルマ・業と呼べるような執着を持っているんですね。で、なかなか執着が抜けない。
そんな自分から自由になるためには、まず執着していることに気が付かねばなりません。今、自分がどんな心でいるのか、一心十界が教えてくれるはずです。何かに執着しているのが分からなかったら、そのままですもんね。何に執着しているか分かるから、その執着を手放す、手放す努力ができるんですね。
あぁ、十の分類の話なのに、つまらなくなってしまいましたね。ちなみに一つの心の中に十界があり、一つの界の中にも十界があり、その界の中にも更に十…、というキンタロー飴的な考えもあります。無限ループですね。
これは宗教的なのか、科学的なのか、どうなんでしょうね。量子論や最新の科学でも同じことを言っているんですよね。一つの中に全てがあるってね。あぁ、また一つに戻ってしまいましたね(笑)